「きょう竹とうもの語」を読んだ後、「わたしはわすれないよ。」とキョウチクトウに言いました。今ど、広しまに行って、キョウチクトウに直せつ言いたいです。
わたしは年長の時、家ぞくで長さきにりょ行に行き、原ばくしりょうかんに行って、はじめて「原子ばくだん」という言ばを知りました。お母さんから、「広しまにも原ばくがおとされて、たくさんの人がなくなったのよ。」と教えてもらいました。でも、「きょう竹とうもの語」を読んだら、原ばくは人間だけでなく、生きものやしょくぶつのいのちもうばったんだと分かって、とてもかなしくなりました。
わたしが一番心にのこったのは、犬たちが体がヤケドで毛が半分になってしまっても、何ども川に入って、一生けんめいキョウチクトウに水をかけてくれたところです。犬たちもくるしいのに、キョウチクトウをたすけるためにがんばっていて、やさしいなと思いました。あと犬たちがキョウチクトウに、「ボクの分まで生きてね。」と言っていて、むねがぎゅっとなりました。犬たちはもっと生きたかったと思うけど、さいごまでキョウチクトウにやさしかったです。
今もせかいにはせんそうをしている国があります。わたしが毎日元気に学校に行けること、お友だちと楽しくあそべること、おいしいごはんを食べられることも、当たり前だと思ってはいけないと思いました。なぜかというと、せんそうをしている国では、そういうことが当たり前にできない人がたくさんいるからです。
犬たちがキョウチクトウにやさしくしたみたいに、わたしもだれかにやさしくしてもらったら、「ありがとう」と言って、つぎはわたしがだれかにやさしくしたいです。みんながやさしくなって、せんそうがないへいわなせかいになってほしいと思います。
東京 | 学校法人 成蹊学園 成蹊小学校 | 2 | 感想文 | 與口 菜花 |
平和な世界を繋いていくために
太平洋戦争の終結から今年で八十年が経つ。私たちの学校には六月に平和月間があり、戦争の悲惨さや命の尊さを学ぶ。「戦争は何万人もの命を奪った恐ろしいもの」学校で聞く話は全て私たち人間の戦争被害のことだ。「夾竹桃物語」を読むまでは考えたこともなかった。
人間だけじゃなく多くの動物や植物が犠牲になったことを、それらの命を軽く考え忘れてしまっていた。ハトたちが見ていた慰霊碑は原子爆弾で死んでいった人たちに祈っている人。「また今年も、忘れられたね。」そうつぶやいたハト、うなだれるカラス。夾竹桃は原子爆弾が落ちたあの日のことを話しだした。夾竹桃の葉や枝がどんどん燃えていく。助けを求めようにも、周りの人間や動物も昆虫も木も魚もとけて死んでいっているのだ。そんなとき沢山の犬たちが自分の体を水にぬらし、体を震わせ夾竹桃に水をかけてくれた。そうして沢山の夾竹桃が救われたのだ。でも助けてくれた犬は次々に死んでいった。あのときの痛みや助けてくれた犬を思い出すと悲しさで話が続けられなくなった。聞いていた皆も泣きだしていた。そのとき一人の少年が夾竹桃の枝をそっと優しくにぎり「忘れていてごねんね」と静かに泣いたのだ。夾竹桃のお話が一人の少年には届いた。皆おどろきで目が離せない。少年が思い出してくれたことによって希望がうまれた。ヒロシマは原子爆弾が落とされてから七十年は草も木も一本も生まれないと言われていた。それなのに次の夏には立派な花を咲かせた夾竹桃。その存在は人々にも希望をもたらしたのではないだろうか。
人間のわがままで起こった戦争に巻き込まれた動物や植物の死は誰にも祈られず、大きな犠牲は忘れられていく。戦争は沢山の命を奪う恐ろしいものなのにそれを人間は忘れくり返している。今、命を繋いでいる私たちが平和の尊さと命の重みを世界に伝えていく必要がある。平和な世界が何百年後も続くように。
沖縄 | 豊見城市立 豊見城中学校 | 中2 | 感想文 | 江洲 美咲 |
もう忘れないよ
私はこの「夾竹桃物語」を読んで命の尊さを改めて学び、感じました。そして、私はこの本を読むまでとても視野が狭く、自分達のことしか思いやれなかったということに気付きました。
広島に原子爆弾が落とされたとき、確かに私達人間以外にも被害はあったはずです。誰もが理解していたにもかかわらず、無意識のうちに目を瞑って今もなお大勢の人々に忘れさられていたのかと思うと動物や植物にとても申し訳なく感じます。それと同時に犬達の優しく、美しく勇気ある行動にとても感動しました。人間だって痛くて苦しくて、周りにはボロボロになった建物と仲間を見たら自分のことしか考えられなくなります。けれども、犬達は夾竹桃に命をあげるとも受け取れる行動を行い、命を繋ぎ広島の人々に喜びと希望を与えてくれたかけがえのない存在だと考えると本当にありがたくて仕方ないです。またそのような犬や夾竹桃を忘れ感謝してこなかったことにものすごく罪悪感が生まれました。そして私が夾竹桃を助けた犬や助けられた夾竹桃なら言葉が出てこないほどの複雑な感情になると思います。「なんでこんな目にあわなければならないのか。」と考えると思います。ですが、それは爆撃をうけた人間も同じことを感じているはずです。少し感じ方は違うかもしれませんが、漠然とした感情は人間でも、犬でも、植物でも変わらないのではないかと思います。私は改めて、そのような思いをさせる戦争、核爆発を二度と起こしてはいけないと考えました。
夾竹桃物語を読んで、自分の命を、未来を守るためにできることはなにか考えました。それは、被爆者の思いを忘れないことではないかと思います。もちろん、今の私の考える被爆者は植物や動物も入っています。被爆者の方々に「忘れていてごめんね、もう忘れないよ。」と私も伝えたいです。
沖縄 | 豊見城市立 豊見城中学校 | 中2 | 感想文 | 大宜見 優衣 |