広島牛田新町光明保育園年長絵画チャン アン ニイエン
愛知名古屋市立 大高小学校1生きる石原 愛海
奈良平群町立 平群北小学校4守るからね中江 卓路
愛知小牧市立 岩崎中学校中3仁愛の徳佐藤 帆風
三重桑名市立 陵成中学校中3非核化構想谷次 諒哉

わすれていて ごめんね

 わたしはさいしょ、この絵本の絵を見て「せんそうは、とてもこわいしかなしいものなんだな。」とかんじました。そして絵本をよんだあと、「どうしてわすれていてごめんね 

なの?」と思いました。

 小学二年生のわたしには、この本はとてもむずかしく、なんどもなんども読むことで、

色々な「なんで?」が生まれました。

「なぜ犬たちはキョウチクトウをたすけたのだろう。」 「なぜ少年には、キョウチクトウのお話がとどいたのだろう。」そして「きぼうが生まれたとはどんないみなんだろう。」

もしわたしが犬だったら、キョウチクトウをたすけずに、自分だけ生きのびようとします。でも、もしおとうとがキョウチクトウだったらと、かんがえたとき、「あっ!!やさしさだ。」

ときづきました。

 そう思ったとき、すべての「なんで?」がわかったような気がしました。

 犬たちには、やさしさがあったからキョウチクトウをたすけたし、少年も、やさしさがあったからキョウチクトウのこえがとどき、「わすれていてごめんね。」といったんだなと思いました。

 ながいあいだ、気づいてもらえなかったどうぶつやしょくぶつたちは、この少年のことばを聞いてとてもうれしかったと思います。そして きぼうとは、やさしさをいみするんじゃないかなと思いました。

 たった一人だけど、人間いがいの生きものに、やさしさの気もちをもつ少年を見て、

森じゅうに「きぼう」が生まれたんだなと思いました。

 わたしもこの少年みたいに、すべてのいのちあるもののこえをきけるような、やさしいこころを、もちたいです。

 いま、せんそうをしているくにのすべてのいきものに、「きぼう」がとどきますように。

岐阜郡上市立 高鷲小学校2感想文日置 菊乃